ウリ坊の楽しい毎日

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zoom RSS 無エルシン酸なたねと、岡崎まぜめんプロジェクト

<<   作成日時 : 2012/12/29 00:41   >>

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先日、新聞に国産ナタネに関する記事(東北農業研究センターセミナーの記事)が載っていました。

それによると、食用油の主原料であるナタネの種子には、エルシン酸と呼ばれる脂肪酸の一種が含まれており、このエルシン酸は動物実験で、心疾患を引き起こすという報告があるそうです。

東北農業研究センターでは、このエルシン酸を含まないナタネの品種を生みだし、生産者や搾油業者の尽力で、国産ナタネはほとんど、エルシン酸を含まないものになっているそうです。

ウリ坊は放射能の事故が起こるまで食用油はω3と決めていたこともあり、この記事を読むまで「世界では、植物油の生産量は、パーム油、大豆油、菜種油、ひまわり油の順だが、日本では菜種油が食用油の全生産量の6割を占めている」ということさえ知りませんでした。

もちろん、エルシン酸や、その害についても・・・・

もっとも、無エルシン酸品種は、日本だけでは無く、カナダを中心に世界的に普及しているそうです。

貿易自由化以後、苦戦を強いられている国産ナタネですが、「国産=安全」という信用を守るために、今後もがんばって頂きたいです。

ウリ坊の住んでいる岡ア市では、現在、岡崎まぜめんプロジェクトが進行しており、市内の加盟店で、色々なまぜめんを食べることができます。

このまぜめん・・・お店によって、趣向はさまざまですが、「八丁味噌を使う」ことや「なたね油(なたね油赤水)を使う」等の基本的な約束事があります。もちろん、なたね油は、無エルシン酸・・・ですね!

どんな物なのか、職場の人達と、「うどん馳走屋 つるる」に食べに行ってみました。

麺も具も、とてもおいしかったですが・・・・お店が空いている時間に行ったのに、相当、待たされてしまいました。
(最初、注文したとき、グランドメニューなら早くできるが、まぜめんは時間がかかると言われていたので、覚悟の上でしたが)。

職場の人の感想も「おいしかったけれど、待ち時間が長すぎた」・・・というもので、ウリ坊と同じでした。
気の長い方には「まぜめん」を、早く食べたい方は「グランドメニュー」をお勧めします!
画像
混ぜた後の様子をご覧になりたい方は、画像をクリックして下さい!

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
画像の混ぜ麺というもののお味は麻婆っぽい味ですか?ひき肉っぽいものが混ざっていろようですが、、、。私は昔から変なこだわりがあって混ぜるのが嫌なので、混ぜなさいといわれても形のまま順番に食べてしまいます。特にカレーライスです。混ぜるのはダメです。ビビンバも混ぜたくありません。麺類に関しても、、、。混ぜればもっとおいしくなるのかもしれませんが、それ以前に視覚がそれを許さないんです。
いまどき
URL
2012/12/29 22:39
いまどきさん、ありがとうございます。
そう言えば、麻婆っぽい味とも言えます。お味噌がベースです。
こうして、提供されたときにはとてもきれいですが、混ぜるとぐちゃぐちゃ(?)になるので、画像もクリックしなければ(混ぜた画像が)見られないようにしています(笑)
ウリ坊は、いまどきさんほどは徹底していないのですが、子供の頃から、月見うどん等に入っている卵が壊れてつゆが濁るのが嫌で、注意して食べていました。
最後に卵が残って、それだけ食べても、さほどおいしくなかったので、正解は最初から混ぜて(卵を絡めて)食べることでしょうが、つゆが濁るのは避けたかったです。
カレーライスは、特にこだわりませんが、混ぜたくない気持ちは分かるような気がします。
ウリ坊
2012/12/29 23:44
前の葬式についてのコメントです。
儀式と言うのは時間に区切りをつけて一つ一つの時間帯に意味を持たせ記憶にも残す働きが有ります。
七五三とか成人式とか。卒業式も、勉強とは無関係で効率主義的には無駄な一日ですが、それを行う事により区切りが出来て学校時代を経験できたと言う人生の大きな経験となります。この点学習塾とは違います。
葬式も同じで、昔は葬式に時間やお金を使えたのは上の人たちだけ。それが庶民にまで可能になってきたのが歴史の流れで、一体誰が死んだら、牛馬の死骸と同じであると言う様な思いになれるものか??? 同じ地震で死んでも、唐山地震ではブルド−ザーでかき集められ、穴の中に全部一緒に投げ入れられただけですが、東北地震では可能な限り一体一体棺に入れて、僧侶が弔いの経文をよみました。これは仏教思想の問題ではなく、死者に対して敬意を払う文明の問題です。
中村勘三郎は若く死なれて悲劇ですが、葬式を見ていると祝祭の時であるかのような演出で、これは実に見事・天晴れでこんな式がおくれたら理想です。本人の強い意向があったと思います。
葬式は結婚式や誕生祝あるいは還暦や米寿へと続く言わば人間が最後に行うまとめの式とでも言えるもので、参加した人が満足できる式にしたいものです。
良い人生を送られた方の葬式には参加したいものです。それは死者を悼むと言うよりは感謝と尊敬を捧げ人生の目標を見出すものです。裕福な知識人や有名人が最後に逃げ隠れるような式を行う事は、みっともない事だと思います。それが後進への手本と成りますからチョッと考えていただきたい。故人の志を引き継ぐぞ!と人間が一番強く心に感じるのは故人の死に臨んだ時ですから、そういう機会を奪うのはどうかと思います。日本人はこの葬儀を本当に大切にしてきた民族だと思います。その美風が消えつつある現状は寂しいものがあります。
ヒラメ
2013/01/02 05:34
ヒラメさん、ありがとうございます。
中村勘三郎さんのご葬儀について、とてもポジティブな評価をされており、安心しました。
実は、私の弟が亡くなった時、40歳代半ばだったこともあり、通夜の精進落としの場が、参列者の方の同窓会(?)のようになってしまい、宴会のように延々と続いたのです。
お寺にも良い顔をされず、家族も(非常識な参加者だと)憤慨していましたが、私自身は、弟を偲んで立ち去りがたい方々の気持ちがありがたく、こういうお通夜があっても良いのでは無いかと思っていました。
(未だに、家族は弟のお通夜の話をする度に憤慨していますが・・・・)
今回、お通夜では参列者の方が、少し、精進落としを口にされた後、そそくさと帰宅されたのが、寂しい気がしました。
皆、忙しいので難しいですが、葬儀は時間の許す限り、故人の昔話をしたり冥福を祈る・・・そういう場であっても良いと思います。
ウリ坊
2013/01/02 18:38
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